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永遠の翼〜A Kind Of Magic


『君はそうやって、途方もない魔法を仕掛けて…出て行くんだ、僕らをおいて』
『置きざりにされる者の気持ちなんて、君にはわからないんだろうな!』
『信じなければよかった…魔法なんか。会わなければよかった…君になんか』

夢を見た。
遠ざかる後ろ姿に向かって思い付く限りの罵詈雑言を浴びせる夢。
思いの丈をぶちまけてすっきりするどころか、発した言葉が全部自分の上に
重りとなって圧し掛かってくるような夢。

片手をこめかみに当て、夢の残像を押し込めながら胸ポケットを探った。
誰もいないというのに辺りを見回し―すっかり習慣づいてしまった動作だ―
最後の1本に火をつける。吸い込んだ煙が乾いた喉に沁みた。

昼下がりの暇つぶしのはずだった、夢の原因が入ったままの空白の画面を
ぼんやり眺めていると、手が自然にリモコンに伸びた。
巻き戻しながら自問する。これは僕の本心なのだろうか、と。

「本当に…?」

◆     ◆     ◆     ◆

「デュラン・デュランの今度の新作、聴いた? いかしてるわね」
「聴いたわよ。もうっ、最高! やっぱニューロマの時代よねえ」
人がまばらな午後の地下鉄の車内には、学校をドロップしてきたらしい
少女数人が、乗車口近くでたむろしている。
やがて列車は駅に近づき、構内に張られたポスターがはっきり見える程度に
速度を緩やかに落とし始めた。
「ねえ、あれ見てよ。やんなっちゃう」
「ああ、あのポスター? おやじ引っ込めって感じ」
「そういえばさ、フレディって、アレ…なんでしょ?」
「ええっ? うふふ…」
かしましく喋っている少女達の側に立っていた男が列車から降りた。
どこか所在なげで風采の上がらぬ男の顔が、時期外れで取り残された
音楽広告に載っている4人の中の1人と一致することに彼女達が気づいた
頃には、列車は既に駅から遠くなっていた。

ジョンがスタジオの玄関を潜ろうとした瞬間、中から猛烈な勢いで
飛び出して来た男がいた。
「…っ、ブライアン、どうした…」
「もう辞めてやる、こんなバンド!」
肩を怒らせてぶつかって来た彼はそのまま車に飛び乗り、ひどい音を
立てて去って行った。

中に入ると、ふてくされた様子のロジャーがテーブルに脚を乗せていた。
「…また、やっちゃったんだね」
「ふん、あの石頭が!」
「でも弱ったなあ…ギターを入れてもらおうと思ってたのに」
「あんな奴のキーキー耳障りなギターなんか入れなくていいぞ!
シンセがあるだろうが。なんならオレが弾いてやる! ったく、
なんだってんだ畜生! そんなに俺のやり方が気に入らないってのか?」
ゴミ箱やドアをがんがん蹴りながら別室に消えたロジャーを見送り、ジョンは
遠巻きにしていたマックと2人でため息を吐いた。
「弱ったなあ…」

「フレディはいないの?」
「ああ、まだ来てない」
「そうか…。弱ったなあ…」
ジョンはもう一度同じことをつぶやいて、椅子にぼんやり腰かけた。
彼とて曲のアイデアがあった訳ではない。皆とセッションしていく過程で
何かをモノにしようと漠然と考えていただけなのだが、とてもそんな
雰囲気ではないらしい。

(君がやろうって言ったから、集まったんじゃないか…)

テーブルの上のロジャーのマルボロから1本拝借して火をつけながら、
未だ姿を見せないフロントマンの顔を恨めしく心に思い浮かべる。
と同時に、家を出る際の妻の冷たい視線や息子の拗ねた背中まで思い出して
しまい、ジョンの気持ちはますます塞いでゆく。

『あの子、この前のことでまだ傷ついてるのよ。それなのに貴方はまた…』
『いて欲しいときに、父さんはいつだって家にいないんだ!』
ロバートの声がまだ耳にこだましている。

(こんなことなら、家にいれば良かった…)

急用の為に約束を守れなかった前回の埋め合わせができると思っていたのだ、
昨夜までは。
『今度こそ、ロブの好きなことを一緒にやろう。何がいい?』
『本当!? 嬉しいなあ! それじゃあね…えーっと…』
しかしその後すぐにスタジオ入りの話が飛び込み、満面の笑みを
浮かべた息子の願いを、今回もまた裏切る形になってしまった。

だが今帰宅したところで、落ち着いて息子の側にいられないような気もした。
最近、得体のしれない焦燥感がジョンを始終駆り立てている。
――早くしないと、間に合わない。
(何が?)
――もう時間がない。
(僕に? 誰に?)
分からなかった。分からないながらも、そんな時は父親のことを考えている。
ジョンが11歳の時にこの世を去った父。そしてロバートがもうすぐ11。
(父を想うからなのか? ロバートを通して過去の僕が甦るからなのか?)
混乱すると決まって脳裏を掠める父の面影が懐かしくも辛かった。

「すみませーん、雑誌の取材が来てますけど…」
「レコード会社の方が打ち合わせに…」
「ライヴの場所の件でプロモーターさんが…」
アシスタント達が次々に部屋を訪れる。
サングラスからはみ出るほどの威嚇の眉根が機嫌を物語っていたロジャーを
避けてきたのだろう。彼らの乞うような目が自分に向けられていることに
気付いたジョンは、ため息と共に最後の煙を吐き出し、物憂げに腰を上げた。

「雑用するために来たみたいだな…」

「違うよ、君にしか出来ない仕事をするためにさ、ハニー」

冗談とも本気ともつかない甘い言葉で呼び掛けられ、慣れているはずなのに
ジョンの頬はほんのり赤らんだ。顔を上げると、エネルギーの塊のような人物が
戸口で彼の反応を笑っている。バツの悪さも手伝って目元と口元に力を入れたが、
フレディは平然としていた。
「さ、そんなコワイ顔してないで、連中に『クイーンは王者だ』ってところを
笑顔で強調してきてくれよ。そして早くボクの元に戻って来て欲しいな。
この前ジョンが作りかけてた曲で、いいこと思い付いたんだから!」
(コワイ顔って、誰のせいだと思ってるんだよ! 君が遅いからじゃないか!
ブライアンは出ていったし、ロジャーは怒りまくってるし、もうどうしたら
いいのか分からなくて…!)
口先まで出掛かった文句は、本人の前ではあっさり消えてしまう。いつものように。

事務処理をなんとかこなし、別室で不慣れなインタビューを受け終えて
レコーディングルームに戻ると、いつのまにか帰って来ていたブライアンを
含めた3人が、マックやスタッフが遠巻きに見守る中で熱心に議論していた。
「そこはそんな風にちんたら進んじゃ俺のリズムが崩れちまうぜ」
「だってそれじゃ歌えない」
「君はいつだってピアノで作曲するからギターで音が取り難いんだ」
「おう、ジョン。お前はどうなんだ?」
ジョンが戻ったことに気づいたロジャーが早速矛先を向けてきた。
「ん…? いや…」
「ハッキリ言えよおい!」
「よし、別室で充分話し合おうじゃない。4人だけでね」
口篭もるジョンにウインクしたフレディは、ギャラリーの多い部屋を抜け出し
さっさと隣室に入っていった。
「また始まったな…『夫婦ゲンカ』」
「こりゃ長引くぞ…」
スタッフ達が小声で囁いている。
しかし、ブライアンとロジャーに続いたジョンの顔には笑みが浮かんでいた。
とんでもない言い合いが待っているに違いないのに、嬉しかった。
それでも、4人でする口論は、楽しかった。

◆     ◆     ◆     ◆

画面には黒マントを羽織ったフレディが映っている。
束の間の魔法を仕掛けて去っていく姿が。

――信じなければよかった…魔法なんか。

富や名声の犠牲となったものはあまりにも多い。
もう沢山だった。これ以上自分自身を失いたくなかった。
だが今でもやはり思うのだ。
あの黒マントが戻ってくれば良いのにと。
君の魔法になら、かかっても良いのにと。

――会わなければよかった…君になんか。

振り向いて欲しいがために、子供じみた嘘を並べてまで。

「…素直じゃない、よな」
口に出すとなんとなく気分が良くなった。
「まったく、素直じゃない」
今この時も、魔法のかけらを探していたのだから。

「父さん、そろそろ行こうか。…おや」
ドアからひょいと顔を覗かせたロバートが、ビデオデッキの上の空箱を見て
興味深げに近寄ってきた。
「珍しいな。どういう風の吹き回し?」
「たまにはいいだろう」
「パーティーに出るって言ったときもびっくりしたけど、見向きもしなかった
クイーンのビデオなんか今ごろ。なぜなの?」

「なぜって…それは、一種の魔法さ」

息子と共に後にした部屋の中で、誰かが笑った気がした。

あとがき

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