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永遠の翼〜How Can I Go On

昼下がり、電話が鳴った。
「モントルーにいるフレディからさっき連絡があってね。
君に来て欲しいっていうんだけど、…すぐに出られるかい?」
ジム・ビーチだった。
フレディは今、世界的ソプラノ歌手のモンセラート・カバリエとの共作を進めている。
その中の一曲で、ベースを弾いてもらいたいのだという。
ジョンは傍らでかわいい寝息を立てている末息子のジョシュアを眺めた。
昼寝が嫌でむずかった彼に、『いい子でおひるねしたら、おそとで遊ぼうね』と
約束したばかりである。それに夕方になれば、学校に通う他の3人の子供達も
息せき切って帰ってくる。彼等の話も聞いてやりたい…ローラは、友達を連れてくると
言っていたし…
断わる理由を探している自分に、ジョンはかすかな嫌悪を感じた。
(…僕は、フレディに会うのが、怖いのだろうか)

「マジック・ツアー」はクイーン最大にして最高のツアーだ、との世間の評判に
反比例するように、ジョン自身はこれまでになく荒んでいた。
疲れが重くのしかかってきて、何をするのも苦しかった。
膨大なマネージメントの仕事、歯車がかみ合わない私生活、そして…。
『もういい加減にしてくれよ!こんな生活うんざりだ!僕を一人にしておいてくれ!』
最後に会った時に放った言葉を苦々しく思い出す。
そう、よりによってフレディに、彼は当たり散らしたのだ。
抑えが効かなかった。
なぜ自分だけこれほど苦しいのか。これほど辛いのか。これほど明日が見えないのか。
何もかもが崩れ落ちていきそうだったあの時。
(僕はもう、君の炎を鎮めることはできない…。
君の混沌に巻き込まれてしまうんだ、フレディ…)
しかし、彼に必要とされているのなら。まだ役に立てるというのなら…。

ジム・ビーチはそれ以上のことは言わず、根気強く返事を待っているようだった。
「…分かった。今から出るよ」
無意識に言葉がついて出た。

受話器を置いてふと目を上げると、キッチンから出てきたヴェロニカと視線があった。
何か言わなければいけない、と思うが言葉がでてこない。
何を言っても弁解がましく響くのではないかとの恐れが先にたつ。
ここ数年、彼女も同様に苦しんでいたのだと、やっと分かりかけてきた。
自分の人生設計をあきらめ、夫の特殊な生活に巻き込まれつつも、家庭と子供たちを
一人で守り抜いてきた彼女に対して、理解と愛情が足りなかったと思う。
だが、まだその気持ちをうまく話せないでいた。
「スーツケースの用意をするわ」
ヴェロニカは静かに言った。
「…その、フレディがモントルーで呼んでるらしいんだ。
たぶん、すぐ帰れると思うけど…」
我ながら言い訳めいた口調だとジョンは思った。
「ジョン、いいの。…仕事、なんでしょ?」
仕事。彼女はその言葉をほんの少し強調した。

音楽活動は『仕事』なのかどうか、今の彼には答えられない。
以前は、クイーンの活動を「仕事」と思うことにしていた。他の3人はともかく、
自分は世間一般の人間と同様、家計を支える為に「働いて」いるのだと。
『音楽は人生のすべてだ』と言い切れるだけの度量もない。
だからこそ、冷静な目でクイーンの置かれた状況を把握し得た。
だが一方では、クイーンの存在が、ときには家族の絆さえ凌ぐ、すべてを超越した次元で
ジョンの人生を支配していた。彼そしてヴェロニカがその事実に突き当たった時から、
夫婦間にわだかまりができたと言ってもよい。もうこの話は蒸し返したくなかった。
「…ジョシュアや他の子たちに謝っておいてくれないか。埋め合わせは必ずするからって」
(問いに答えなかったことに、彼女は気付いただろうか)
ジョンには分からなかった。

(なぜこうも僕は不器用なのだろう)
空港へと車を走らせながら、物思いは続く。
十数年前は、学業とバンド活動の両立に悩み、学業をあきらめた。
そして今、家庭とバンド活動との間で悩んでいる。
また、どちらかをあきらめねばならないとしたら…?一体どちらを選ぶのか。
そもそも何故2者択一の生き方しかできないのか。
これがジョンの最大の問題であった。
奔放な生き方を貫いているフレディ、何物にも束縛されないロジャー、そして
新たな愛に生きようとしているブライアン。
彼等のことを思うと、自分の臆病さが恨めしくなる。
(深く考えるのはよそう)
先のことをとやかく考えるのは無意味だ。そう思っていても、
これからの自分の将来を考えざるを得ないジョンであった。

「クイーン」がもはや4人だけのものでなくなってから久しい。
昔は良かった、と思う。何をするのも、どこへ行くのもいつも4人一緒だった。
自分達だけの力でのし上がっていくんだ、という決意の元での、貧しいながらも
充実した日々。しかし今や、クイーンの存在は彼等の手を離れてしまったようにも思える。
富と名声を欲しいままにした今、自分達はどこへ向かおうというのだろう。
(そして僕はどうすればいい…?)

彼等4人の音楽性の違いからくる緊張感が、今までのアルバムの成功であったといえる。
だが最近は、全体としての方向性が見い出せなくなってきていることも確かだ。
それでも他の3人にはソロ活動という「はけ口」がある。
ジョンはソロ活動には消極的だった。
歌えない、というのが主な理由だが、それだけではなかった。
最近ある映画のサントラ用に即席ユニットを組んでみて分かったのは、
自分は「クイーン」としてのみ力を発揮できるのだということだった。
特に、あの希有な才能の持ち主のボーカリストの元で。

だが、いつまで続けられるというのか。
『解散』という言葉の重さを実感し始めたのは、「ザ・ワークス」の頃からかもしれない。
インタビューで尋ねられるたびに明快に噂を否定している他のメンバーのようには
いかない自分に気づいていた。
(もう何も生み出すことができないのなら、辞めようか…)
ふとそんなことを考えていることが多くなった。
辞めて何をする、という目的もないままに。

だが、フレディはいつも言う。
「辞める奴は卑怯者さ」と。
別に彼に向けたものではなかったにせよ、その言葉はジョンの胸に突き刺さっている。
(僕は、卑怯者とだけは呼ばれたくない)
そして、傷つきやすい彼の信頼と友情を自分から壊してしまうことも出来なかった。

ジョンがモントルーに着いた頃にはもう日が落ちていた。
スタジオはとても静かで、人の気配がないようだった。
(もう帰ってしまったんだろうか、フレディは)
彼の気まぐれはいつものことだが、ここへ来るのにどれだけ悩んだかを考えると、
少し寂しかった。とりあえずホテルへ連絡しよう、と踵をかえしかけたとき、
後ろから足音がきこえた。

「やあ、ジョン!来てくれたんだね。待ってたよ」
振り向いたジョンの目にうつったのは、確かにフレディだった。
しかし、何かが違う。
このまえ会った時のパワフルな雰囲気が影を潜め、とても疲れている様に見える。
(何か、あったのかい、フレディ?)
「…髭、そったの?」
言いたいのはそんな言葉ではなかった。
「はっはっは。若く見えるだろ?それよりジョン、ちょっと見ないうちに
すっかり人の良いオジサンになってるじゃないか。ヴェロニカと子供たちは元気?
ジョシュアは可愛い盛りだろ?…悪かったかな、いきなり呼びだしたりして」
ジョンは微笑みながらかぶりをふった。彼の前では何も言えなくなってしまう。

「君に協力してもらいたいのは、この曲なんだ。直前の曲とつながっている形にしようと
思ってるんだけど。今からちょっと聴いてくれないか」
そう言ってフレディはデモテープの用意を始め、ジョンに楽譜を手渡した。
「でも、今度のアルバムはクラシック系の曲ばかりなんだろ。
僕のベースなんて必要なのかい?それにマイク・モランだっているし。
彼のキーボードで間にあうんじゃないかな?」
楽譜を受け取りながらなおも半信半疑なジョンだったが、曲が流れてきた途端、
思考が止まった。

それは、美しいバラードだった。優しいメロディーなのに、心が締め付けられる。

どう生きていけばいいのだろう
この毎日を
誰がどんな風に力を与えてくれるのというのだろう
どこが安全?
僕は、どこにいればいい?
この大いなる悲しみの世界で…
忘れられるはずがない
僕たちが分かち合った美しい夢の数々
でもそれらは失われ 見つける術もないのに
ああ、どう生きていけばいいのだろう…

「ねえ、ジョン、どう思う?」
「…えっ?」いつしか涙が頬をつたっていた。慌てて顔をこする。
「いや、あんまりきれいな曲だから、びっくりしたよ…いいね」
それを聞いてフレディは嬉しそうな表情を見せた。
「そうかあ!君にそう言って貰えるなんて嬉しいな。で、どうだい。
君がベースを弾いてくれたら、もっとソフトな感じになると思うんだけど。
ピアノだけじゃ上品すぎてね。モンツィにも気に入ってもらいたいし」
次々にメロディーラインに関するアイデアを披露するフレディを前にして、
ジョンは別のことを考えていた。

(何故こんな哀しい歌詞をかくのだろう…)
フレディの歌詞にはいつも驚かされる。
どうやって考えるのか、と前に尋ねたことがあったが、彼は笑ってごまかした。
「ぱっとひらめくだけさ。君のようにじっくりゆっくり物を考えないタイプだからね、僕は」
最近の彼の曲は、感情がストレートに伝わってくるものが多い。
その「感情」は計算されたもので、彼のナルシズムを表しているとの評もあるが、
ジョンにはそうとばかりは思えなかった。フレディはいつだって彼自身なのだ。

彼に対する芳ばしからぬ噂はジョンの耳にも入ってきている。
いつの頃からだったか、それまではオフステージ時でもあれこれと世話を焼いてくれて、
ありがた迷惑に感じる程だったのが、急に彼だけが見えなくなることが多くなっていった。
それと同時に、常軌を逸した言動も多くなり、ジョンでさえも暗に彼を非難したことがあった。
だが、この前のツアーの時から、彼の何かが違っていた。

それは、前作のレコーディングの時からかもしれない。
ジョンが映画用に作曲した「愛ある日々」を聞いて、
「いいね、この『喜びと悲しみは背中合わせ』っていう言葉。これで何か書けそうだね」
そう彼が言ったから2人で考えた曲。
「なあジョン、久しぶりに『これぞクイーンだ!』って皆が納得するような曲、
書いてみようよ」
その結果、アンコールの定番、ブライアンの「We will rock you」と
フレディの「We are the champions」の間に歌われることにもなった2人の曲。
どれも温かい優しさに満ちていた。
アルバム作成当時、ブライアンとロジャーの仲がこじれており、どちらかの肩を
持つ訳にはいかなかった彼等ではあったが、
(なぜ、フレディは僕との共作をあれほど望んでくれたんだろう)

もともと、作曲スタイルがかなり異なる2人である。
短期集中型で、スタジオで様々なアイデアを出し、歌いながら試行錯誤を繰り返す
フレディと違い、自分で歌えない分、リズムをしっかり作っておきたいジョンは、
曲の大部分を仕上げてからスタジオに持ち込むタイプだ。
共作を始めた当時は、フレディの回転の速さについていけるのか不安でもあった。
だが、書き上げたメロディーがすぐに驚異的な歌声で紡ぎ出され、アレンジされるのを
目のあたりにできることの素晴らしさに、ジョンはいつしか夢中になっていた。
取るに足らない歌詞だと思っていたものでも、フレディの声にかかると命が芽生える。
もう何も作れないと感じていたのだが、彼のお陰でやれたようなものだった。
(でも、なぜ…)

ジョンが上の空だと知ったフレディは、ほっとため息をついた。
「なんだ…聞いてなかったのかい?そんなに家のことが気になるの?」
「ごめん、そうじゃないんだけど…」
「…でもいいね、家族がいるってのは。大事にしなきゃバチがあたるよ、ジョン」
「いいときばかりじゃないよ。責任が重すぎて、時々何もかも放りだしたくなる」
「それが君の苦労性なところさ。いいかい、もっと楽天的に考えなよ」
ひとしきり彼の家庭の重要性に関する主張が続いて、少しの沈黙があった。
ごく何気ない調子で、フレディはこう言った。
「ねえジョン、…もし君の命があと少ししかないとしたら、どうする?」
あたりの空気が急に肌を刺すのを感じた。息が詰まる。
「…な、何を言いだすのさ、そんなこと分かる訳…」
ジョンの当惑を横目に、フレディはあっさりと続ける。
「そうだった、君にこんな話は向かないんだった。
答えを聞くのに2日はかかるんだよな、君と話すと」
(茶化すのはやめてくれ、フレディ)
「言葉につまったらさ、「じゃあ、君ならどうする?」って聞き返すもんだよ。
ほら、言ってみて」
「…嫌だよ、そんなこと」
(答えなんか聞きたくない!)

気付くまいとしていた現実が押し寄せてきた。
何故フレディが哀しい詞をかくのか、穏やかな曲をつくるのか。
(僕には分かっているんだ…)
ジョンは知っていた。今まで認めたくなかっただけなのだ。認めるのが怖かった。
口さがないマスコミの報道。時として彼らでさえ真実を掘り当てるのだ。
会話のあと黙りがちになったジョンのせいもあって、気まずい雰囲気のまま、
2人は明日の朝の約束を交わして別れた。

ホテルの部屋でぼんやりと過ごしていると、電話が鳴った。
交換手が、ロジャーの名を告げる。
「やあ、ジムに聞いたんだけどさ。今、フレディと一緒だって?
…何か変わったことないか?」
「いいや、別に何も。…何故だい?」
聞きながら、声がかすれた。
「…いや、それならいいんだ。じゃあな」
ロジャーらしい簡潔な電話だった。

そのままジョンは、家に連絡を入れる。すぐにヴェロニカが出た。
「さっきブライアンから電話があったわ。フレディとモントルーにいるって言ったら、
『何かあったのかい?』って。大丈夫よね、ジョン?それとも何か…」
「…何もある訳ないじゃないか。もうすぐしたら帰るからね」

体が震えていた。
ロジャー、ブライアン。彼等も感じているのだ。
まったく予想もつかない形で、運命が激しく回っていく。

(僕は、どうすればいい…? 僕に、何が出来る…?)

床に座り込んでベッドにもたれながら、ジョンは必死に答えをつかもうとしていた。


早朝の湖はすがすがしい冷気に満ちていた。
スタジオに来たジョンは、バルコニーにたたずんで、今朝1本目の煙草に火を付ける。
まもなく車の音が聞こえた。気配で彼のものだと分かった。
「おやおや、悪い癖が付いたもんだねえ」
まもなく、機嫌のよさそうないたずらっぽい声が背後から聞こえた。
「僕はそろそろ禁煙しようと思ってるのにさ」
そう言いながらも細長い煙草を隣でくゆらしているフレディに、
ジョンは湖を見つめたまま、話し掛けた。
「あのさ、フレディ。…昨日の話だけど、僕だったらね…誰にも邪魔されずに、
静かに過ごしたいような気がする。
一人でいるのは怖いけど、最後は誰でもひとりっきりなんだから」
しばらく無言でいたフレディだったが、やがてふっと笑った。
「ようやく君らしくなってきたよ、ジョン。…出会った時と同じだ。
そういうドライなところ」
その言葉が聞きたかった。今まで通りの自分。そして今までどおりのフレディ。
変わる必要はないのだと思った。
「お褒めの言葉を承ったついでに、曲の方も頑張るといたしましょうか。
…聞いてみてくれる?少しアレンジを変えてみたんだ」
スタジオに入る2人の背中に、朝日が眩しく輝いている。

「へえ、モンツィのパートの部分は音を変えたんだ。彼女にぴったりだね」
細かい修正に感心するフレディを見ながら、美しくも哀しいメロディを、
今は彼のためだけに、ジョンは奏でる。

(いつも通りの僕でいることが君にとって安らぎになるのなら、僕はそうしよう。
言葉なんかいらないよね? 形だけの慰めの言葉なんか…
僕は君を、いつまでも昔のままの君として覚えていよう。それが君の望みなら。
忘れないで。どんなに離れても、僕は君と共にいるから…)

あとがき

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