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永遠の翼〜衝突

「今日のフレディはいつにもましてヒステリックだったなあ。
そりゃあジョンの服のシュミはお世辞にも良いとはいえないけど、
『僕はそんなシャツなんか大嫌いだ!』なんて、別に自分が着てる訳でもないのにさ」
ロジャーが石を蹴りながら言った。
「レッドスペシャル」を大事そうに抱えたブライアンが頷く。

1971年7月。ベーシスト、ジョン・ディーコンが揃った初めてのギグが終わり、
ロジャーとブライアンは家路につこうとしていた。
ギグはこじんまりしたものだったが、客のノリがよく、2人とも満足していた。
しかし、開始前の騒動が気にかかっている。さっきから話題といえばそればかりだ。

それは、ジョンが着ていたシャツがフレディには気に入らず、自分のを貸すから
それを着ろ、といってきかなかった「事件」であった。
これまでのつきあいで、フレディの一種病的な服装へのこだわりが分かっている
ロジャーやブライアンなら、あきらめの気持ちで妥協するところだが、
知り合って日が浅いジョンがそれを知るはずもない。
結局、半ば強制的にフレディが押し切った形になったのだが…。

「ジョンはいつもと同じようにじーっと黙ったままだったけどさあ、
目つきが怖かったよな。それにギグが終わったら、シャツを脱ぎ捨てて
一言もいわずに帰っちまったし」
「うん、あれはフレディが悪い。これでジョンが辞めるなんて言い出したら
どうしてくれるんだよ!」
珍しくブライアンの声も怒りを含んでいた。
ジョン・ディーコンはようやく彼等が見つけたベーシストだ。
腕前はもとより、機材に強く、自分達3人のペースに無理なくついてくる、
今のところまさに理想の人物だというのに、フレディの些細な癇癪で失いたくない。

「ところでフレディの奴、どこへ行っちまったんだろ?」
ロジャーがつぶやいた。彼等とフレディはいつもなら一緒に一杯やってから帰る仲なのだ。
文句は言っていても、少しは気になる。
「放っておけばいいさ。野宿してようが構うもんか」
ブライアンの言葉は辛辣であった。

…ふぅーっ。
ジョンは帰ってから何度目かになる深いため息をついた。
今夜の演奏は、まだナンバーを覚えて数ヵ月の彼にとってもまずまずの出来といえた。
それに、リハーサルでも彼等の非凡さを垣間みることがあったが、今夜は特に、
ブライアンのギターの芸術的な音色、激しいロジャーのドラムが印象深かった。
そしてフレディの声は、確かに、今までに出会ったどのボーカリストとも違う、
スケールの大きさを感じさせてくれた。
(でも、あの癇癪には閉口だな)
もともと温和な性質なので、時間が経つにつれ激情は薄れていったが、
まだ思い出すだけで苦いものが込み上げてくる。
たかがシャツ一枚のことで腹が立つとは、自分でも馬鹿らしいと思う。
しかし他人のシャツ一枚で大騒ぎするフレディ・マーキュリーという青年が、
彼には理解できなかった。
服装に対する自分の無頓着さをああまでけなされたのも初めてだった。
(所詮、長く続ける気はなかったんだから、今辞めてもいいさ…)
そうは思っても、彼等の産み出す、抗しがたい魅力のある音楽への執着心は、
ジョンの心の中で日毎に大きくなっていた。まだ理由は分からないけれども。

(ヴェロニカなら、どう言うかな…)
ふと、彼女に電話してみようと思った。
ヴェロニカ・テズラフとは「マリア・アサンプタ教員養成学校」内の
ディスコで知り合った。
「クイーン」のメンバーになってから1ヵ月ほど経ったとき、
「あなたに会いたいって子がいるの」とクリス・ファーネルに呼び出されたことがあった。
そこに居たのが、海のようにきらめくエメラルドの瞳を持つ、ヴェロニカである。
一目で彼女に恋したジョンだったが、
「前に一度あなたに会ったの、覚えてる?」
と問われて焦ったのも確かである。運命の出会いというのは重なるものらしい。

ヴェロニカは教員志望だけあって、思ったことをはっきり口にするタイプである。
考え方もジョンより堅実だ。
(私、ハード・ロックってあんまり好きじゃないの)
それでいて、彼のバンド活動には寛容で、会うといつも励ましてくれたりもする。
滅多に他人に愚痴を言ったりはしないジョンだったが、彼女になら甘えられる気が
していた。将来のことは分からないが、2人で教師をやっていくのも悪くない、
と思うこともあった。

電話に出たのは彼女ではなく、ルームメイトだった。
「ヴェロニカは今日から宿泊研修よ。あなたに言ってなかったの?」
「…そういえばそうだったね。ごめん」
(あなたのデビュー姿が見られなくて残念だわ)
夕べ電話で彼女がそう言っていたのをすっかり忘れていた。
(今日はついてないな)
受話器をおいて、またしてもため息がでそうになった時、玄関のベルが鳴った。

(今ごろ誰だろう?ピーターは外泊だって言ってたし…)
「はい?」
扉をあけた時、息が一瞬、詰まった。
Freddie and John
ドアの外に立っていたのは、ギグでの衣装のままのフレディだった。
「…」
言葉もなく立ち尽くすジョンの前で、フレディはこう言った。
「まだ怒ってる?今夜のこと…後悔しているんだ…なんてひどい事を 言っちまったんだって。だから、だからね…」

しかしジョンは無意識に彼を上目使いで『睨んで』いたらしい。
フレディはとても困った表情になり、足元を見つめながらぽつりぽつりと話し始めた。
「…悪気なんて全然なかったんだ。ほんとだよ。…君のプレイは好きだし、
クイーンのメンバーになってくれて嬉しいと思ってる。
(ここで彼はひと呼吸おき、いっきにしゃべった)
だから、辞めるなんて言わないで欲しいんだよ」

ジョンはただ黙って聴いていたが、怒っている訳ではなかった。
フレディの言葉とその態度が、ジョンをひどく戸惑わせたのである。

メンバーになってから何度となくリハーサルを行ってきたものの、
内気で人見知りする性格の為か、彼等とはあまり話をしたことがない。
それでもブライアンとロジャーは自分を快く受け入れてくれている、という気はした。
しかしフレディは、たいてい遅れてやってきては彼等2人と派手に騒ぎたてるだけで、
ジョンの存在など気にも留めていない風だった。
5歳も年上の、異国の雰囲気をも感じさせる、鋭い目と舌を持つ青年。
できればあまり関わり会いたくない、と思っていた矢先に、正面から
ぶつかり合ってしまったのだが。
(こんな一面があったのか…)
それまでのどこか冷淡で傲慢なイメージを相殺し、いとおしささえ感じるような一面が。
(わざわざ、来てくれたんだ、僕のために…)

ふと、フレディがじっと自分を見つめているのに気付いたジョンは、
ドアから身を引いて、言った。
「中に入らない?」
きょとんとしているフレディを、ジョンは笑顔で促した。
「ビールくらいならあるよ」
その時のフレディの嬉しそうな表情は、ジョンにとって忘れられないものになった。

次の日の午後。インペリアル・カレッジの講堂に、ロジャーとブライアンが
リハーサルのために集まってきていた。フレディがまだなのはいつもの事だが、
普段なら先に来て講堂の片隅にたたずんでいるジョンの姿が、見当たらない。
いるのに気がつかない事もあったが、いざ見えなくなると、彼の存在が
たまらなく懐かしくなってきた2人である。
「…やっぱり、来ないのかな、ジョン」
「ああ、面白くねぇなあ…!」
ドコドコと乱れ打ちを始めたロジャーを見て、自分もチューニングをしようと思った
ブライアンだが、彼の為にとジョンが作ってくれて間がない「Deaky amp」を見た途端、
ため息が出た。
(彼となら、一緒にやっていけると思っていたんだけどな…)

「や〜あ、諸君。早いねえ!感心感心!」
フレディの声が聞こえてきた。上機嫌らしい。
(なにが感心感心、だよ)
2人は聞こえなかったふりをして作業に没頭していた。
だがフレディはお構いなしで続ける。
「さあて、今日は何からやろうか…ねえ、ジョン?君は何がいい?」

(ジョン!?)
その言葉で同時に顔を上げたロジャーとブライアンの目に映ったのは、
フレディに肩を組まれて恥ずかしそうに微笑むジョンであった。
「や、やあ、ジョン。また会えて嬉しいよ」
「…もう、来ないのかと思ってた」
口々に言う2人に、
「な〜に言ってんだよ、僕等のベーシストはジョンしかいないぜ。
失礼なこと言うなよ。なあ、ハニー」
フレディはけろっとしてジョンの代わりに応える。それが2人の燗にさわった。
「…!だいたい、お前が悪いんだぞフレディ!」
「そうさ!なのに何だよ今日のその態度は!」
「僕はいつだってジェントルマンさ」
「どこがだよ!ゆうべの事、覚えてないのかい?」
ここでジョンが遠慮がちに割り込んだ。
「あの…『Liar』からやっていい?ソロのとこ、まだ納得いかなくて…」
その言葉でしぶしぶ演奏に移った3人であった。
何度となく繰り返されている、そして今後も続いていくであろう彼等の「口論」を
楽しみ始めている自分にジョンは気付いていた。

(余談)
リハーサル中、ふとブライアンはジョンの右手に目を留めた。
「あれ、ジョン、今日は指輪をはめてるんだね。珍しいなあ。どうしたの?」
「…もらったんだ」
「誰に?ああ、ガールフレンドのヴェロニカって子?」
(それにしちゃあ、派手だよなあ…)
「ううん、…フレディに」
「ふうん?」
たぶん聞き間違えたのだろう、ブライアンは深く考えない事にした。

ロジャーはフレディに尋ねていた。
「なあ、ゆうべはどこ行ってたんだよ?ハイドパークで妖精とデートかい?」
「いくら君にだって言えないことはあるのさ、ダーリン。ね、それより、
ジョンって帽子が似合いそうだと思わない?こう、つばの広い、フリルついたようなやつ。
なんかいいもの、なかったかなあ?」
「…また睨まれても知らないよ、オレ」

" John & Freddie " : Illustrated by ねこ娘さん

あとがき

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