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「ディーキー・ウィークリー」Vol.314
2006.1.14---1.21

当サイトにて持ち上がった、1週間分のジョン関連の話題をまとめました。


The Week In The History

What's New ?(今週の更新)

>> 愛ある日々:「Killer Queens」by ちゃっぴーさん。

What's In?(今週のディーコンさんネタを総ざらえ)

まるごとクイーン#4

(from ミス・レモンさん) さて、「まるごとQUEEN #4」のご報告です。
「まるごと〜」のHPが無くなっておりましたので、今回はリンク先は無しです。ですから、みなさん、想像力全開でお願いします。
※ジョンネタなしです。
※「まるごとQ」というより「まるごとF」という感じです。

例によって”Q好きが集まるとあるバー”
●ゲスト
笠原 正樹さん=音楽舞台監督 Qの1975〜1985年の来日コンサートの舞台監督をされました。
高原 竜太朗さん=踊る生け花師 1986年に、フレディのガーデンロッジの日本庭園を手がけられました。
★笠原さんの思い出話
「ブライアンがあまりに欲しがるので”アサ○ペン○ックスのズームレンズ”をあげた」
「初来日のコンサートで、失神者が100人くらい出た。なかには、おも○ししてる人もいた」
「”日本のダーティなところに行きたい”と、フレディにせがまれてストリップとキャバレーに連れて行ったが、フレディは、”どうして日本のストリッパーやコンパニオンはお母さんみたいな歳なのか”とガッカリしていた」(今の時代だったら喜んだでしょうね)
「1979年の真駒内アリーナで、開演が1時間遅れた理由。(Qは消防と非常灯を消せ消さないで揉めたそうです。結局消防は、”話を聞かなかった”ことにしたそうな)」
★高原さんの思い出話
「フレディの第一印象は、口元。見ないよにしようと思っても、ついつい・・・」
「FにはBFとGFがいて、BFのジムはお茶を淹れてくれて、優しくしてもらった。(”身の回りの世話係は元カレです”と、かほるさん。高原さんにすれば、BFとGFだけでも未だ理解出来てなかったところに・・・、ますます複雑な面持ちでした)」
「日本庭園について、Fは大雑把でいて細かいところにこだわった。(”瓦の色が違う”とか、”茶室の奥行きが違う”とか言ったらしいですよ)」
「Fは普段着もピシッと着こなしていた。しかも、いい物を着ていたし、姿勢も良かった」

●QUEENな旅
@Inperial College ブライアンが卒業した大学。かなりのエリート校だそうです。
AWembley Stadium ライブエイド、マジック・ツアー、フレディ追悼コンサート会場
BKensal Green Cemetery フレディの葬儀と火葬が行われた場所。

★デイヴィッド・リチャーズさんへのインタビュー
(ミラクル、イニュエンドウ、メイド・イン・ヘブンのプロデューサー)
苦労した点
「4人とも違った方向性で、違ったアプローチをするのですが、メンバー全員を喜ばせたうえで、統一感のある音に仕上げなくてはならなかった」
フレディの思い出
「最後の3曲は、スタジオに僕とFだけだったんです。ある日彼は言いました。”僕の体はバラバラになっていってる。もうすぐ死ぬと思う。もうこれ以上歩くことも出来ない” 彼は立ち上がることも出来なくて、座って歌ってたんです。”神が僕の声をまだ歌えるようにさせてくれている。死ぬまで歌うことが出来るんだよ” 最後の歌は「Winter's Tale」でした」

●挿入されたPV 「Tie Your Mother Down」

と、こんなところでしょうか。
D・リチャーズさんは終始笑顔でしたが、やはりフレさんとの最後の日々を語るあたりは、「いまでも辛い」という感じが伝わってきました。
本音で話す人もいれば、本音はあくまでも隠す人もいますよね。ジョンは後者ではないかと思うんです。ジョンからフレさんとの思い出話を聞くのは難しいのだろうな〜、と感じました。たとえこの先、重い口を開いて語ったとしても全ては語られないのではないかと。
「まるごと〜」本当にみなさんにもお見せしたいです。

31年目&7年目

1月18日はジョン&ヴェロニカ夫妻の31回目の結婚記念日と、当サイトの7回目の開設記念日でした(実は開設日はもう少しだけ後だったのですが、キリがいいのでこの日に決めちゃったのです。経緯はvol.157の下の方に書いてあります)。今年も沢山の皆様からの温かいお言葉、本当にありがとうございました!

Dream: WET(夢に出てきたジョンの話)

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