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ジョン・ディーコンの半世紀


(5)アルバム・デビュー前

1971年2月下旬にクイーンに正式参加したジョンがステージ・デビューを果たしたのは、7月初旬のことでした。その間バンドはギグをせず、ひたすらリハーサルに費やしていたようです。英国は学年末が6月ですし、ジョンも(そしておそらくブライアンも)マイペースで学業に精進していたのではないかと思います。

初ギグに関する特記事項は「Tシャツを巡るフレディとの確執」でしょう。当日ジョンが着ていたTシャツ(本人いたくお気に入り)が気に入らなかったフレディが、自分のTシャツを貸すからそれを着ろといってきかなかったとされるエピソードです。オードビー時代、「僕は着たい服を着るんだ!」と年上のメンバーに向かって言い放ったこともあるジョンが、果たしてフレディの言うことを素直に聞いたのか、それともフレディが持ち前のパワーで押し切ったのか、結果ははっきりと書かれていません。ですがその後しばらくジョンが当時のバンドのコンセプトに応じた衣装(ひらひらレースの貴公子風)を身に纏い続けることを考えると、フレディの言い分が通ったのかもしれないですね。どちらの美意識が勝っているのかは問題のTシャツを見ないと判断できませんが(笑)、ともあれ、初めのうちはとても無口で、メンバーと言葉もほとんど交わさなかったとされるジョンが、デビュー時に既に自己主張はきちんとしていたという事実は重要です。

演奏はうまくこなせても、この「事件」でジョンもあまり良い気分ではなかったでしょうし、さらに次のインペリアル・カレッジのギグでは、前のベーシストを覚えているオーディエンスへのプレイということで、なにかと気苦労もあったかと思います。そんなちょっとばかりギクシャクした雰囲気を和らげ、メンバー同士の団結を強めてくれたのが、7月中旬から8月下旬にかけてロジャーの故郷、コーンウォール州で行われたミニ・ツアーだったようです。器材を一つのヴァンに詰め込んで出発し、コテージを借りて2週間ほど一緒に生活しながらギグをこなす内に、グループとしての絆が出来たんだと彼自ら嬉しそうに語っている記事が残っています。他のメンバーにとってもこのツアーはジョンの人となりを知る上で有意義だったことでしょう。「ジョンは知らない人や信じていない人の前ではストイックなそっけなさを装うけど、打ち解けると途端に外向的になるんだ」なんていうブライアンのコメントも飛び出してくる頃です。

1972年も、ギグは数えるほどでした(たったの5回)。これは学業の他、ブライアンのつてで使わせてもらえるようになったスタジオで、デモ・テープ作りに精を出すようになっていたからです。ですがその5回の中に、「人生最大の恥ずべき体験だ」とジョンが述べているものが含まれています。1月28日、ロンドンのベッドフォード・カレッジでのこの年初のギグはジョンが企画したものでしたが、なんと集まった人数はたったの6人だったのです。いくらまだ無名に近い頃だとしても、寂しすぎますね(今ならその6人がすごく羨ましいですが)。どうやら友人に回されただけで自分で十分確かめなかったのが原因のようで、ジョンにとって相当イタい体験だったのは想像に難くなく、こういう出来事も彼がしばらくの間バンド活動に消極的だった要因の一つではないかと思います。しかも1972年は彼の大学生活の節目の年であり、6月には電子工学科で第1級名誉学位を授与されて卒業という偉業を成し遂げ、大学院への進学を決めていまして、バンドと学業のどちらがメインだったのかが顕著に分かるというものです。ただ、彼が専攻したのは「音響振動工学」という、音楽と深い繋がりのある分野だったらしくて、「(スタジオの)エンジニアになりたい」という昔の夢に向けて律儀に頑張っていたことが伺えます。もしかしたら、バンドでベースをプレイする事もその為の手段に過ぎなかったのかもしれません。この頃はまだ。 (2002年7月5日)

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