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ジョン・ディーコンの半世紀


(6)アルバム・デビュー、そして「ミュージシャン」へ

ジョンの加入から2年後の1973年7月、ようやく彼等はファースト・アルバムを発表するに至りました。新しく出来たディ・レーン・リー・スタジオのデモ用バンドとして、器材を自由に使ってレコーディングやギグのリハーサルが出来るという願ってもない環境ではあったものの、正規の使用時間の空きを待って逐一スタジオを移動し、自分達用に器材を調整しなければならず、作業に掛かる時間は相当なものだったようです。そしてこの2年の間に、レコード製作やマネージメントに関する全権を会社側に委ねるという、今後何かと燻りが生じる契約をトライデント社と交わしています。『ラッキーだったなあ、良いスタジオでデモテープを作れたし、それをレコード会社に持っていったら興味を持ってくれたし。それで自信がついて、ゴーサインを出したんだ』なんて呑気な発言をしている頃はまだ幸せだったということですね。

リリース前、デモ・テープを友人達に聞かせるために、ジョンは故郷オードビーに戻っています。ファースト・アルバムに収録されている曲は彼が加入する前からあったものが多いので、自分自身のテイストというのはまだそれほど完全に注ぎ込めていなかったのではないかという気もするのですが、とにかくファースト、セカンドの頃のジョンは「僕が一番のクイーン・ファンさ」とでも言いたげに率先して布教活動を繰り広げている節が見られます。オードビーでも、売上を伸ばすために「レスター中の店で予約してくれない?」などと大いに宣伝に励み、クイーンについて、自分の将来の夢について、夜通し熱っぽく語ったのだとか。親友ナイジェル君夫妻をもびっくりさせた、普段のジョンとはまるで違うその様子に、彼のこのアルバムへの意気込みがものすごく感じられます。

しかしその待ち望んだデビュー・アルバム「戦慄の王女」の裏、メンバー・クレジットに書かれた名前は…"John Deacon"ならぬ"Deacon John"。このために日本でも来日時まで「ディーコン・ジョン」と呼ばれる羽目になったこの"誤植"、ミスではなくメンバー合意の元でした。「果てしなき伝説」によれば、ロジャーとフレディの冗談交じりの案でそうなったということですが、元々3人はジョンのことをそう呼んでいたんだとブライアンも語っていまして、81年のジョンの言葉を借りれば『アルバムを発表する時に他のメンバーが「響きがいいし面白いから"Deacon John"にしろよ」ってアイディアを出して、それでなんとなくああなった』のだそう。81年の時点では「なんとなくああなった」なんてケロッと発言していますが、当時は事あるごとに「僕はディーコン・ジョンじゃなくジョン・ディーコンなんだ」と力説していたり、セカンド・アルバムでも同じ表記になっていたのをリリース日を遅らせてまで修正させたりといった話もあります。最初の気後れ(新参者で年下)を引き摺っていたせいで、3人に対して自分の意見を強気に言えなかったのかもしれません。こういうことを繰り返して(?)成長していったのでしょう。

ファースト・アルバムが世に出ると、バンドはトライデント・スタジオで、次回作に取り掛かりました。誰にも遠慮のいらない、自分達だけのスタジオでのレコーディングです。ですがこの頃ジョンはまだ、ブライアンと同様に学業(修士課程)も続けていました。ここでよく日本の資料では「セカンド・アルバム発売頃までジョンは教職に就いていた」という記述があるのですが、本国物でその事実が書かれた本が見当たらないこと、86年のインタビューでジョン自ら否定していること(『それはブライアンさ』)などを考えると、どうもこの2人を混同したのではないかと思われます(実際、ブライアンは博士課程で学びながら、臨時教員の仕事もこなしていました)。

既に名誉学位を取得していて、もう少しで修士の学位。ステディな彼女ともそろそろなんとか。堅実に職を得ようと思えばいくらでも得られる状態だったはずで、彼自身もそのあたりは現実的に考えながら学業を続けていたと思うのですが、フレディを筆頭とするメンバーの明確なヴィジョンと音楽に賭ける情熱は抗い難いものだったのでしょう。モット・ザ・フープルの前座としての、初めての全英・ヨーロッパ・ツアーも主役を食いかねない大成功で、そのことにも非常に感銘を受けた様子でした。そこへもってきて翌年初頭、メイン・アクトとして1ヶ月余り全英をツアーする話が持ち上がります。長期のロードに出るとさすがに研究は出来ません。完成間近のセカンド・アルバムの出来栄えを自信の糧にして、ジョンはこの時点で学業を諦め、ミュージシャンとして生きる道を選んだのでした。この選択は果たして正しかったのでしょうか。1974年。彼の前途は多難です。 (2002年10月4日)

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