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deaky weekly 「ディーキー・ウィークリー」Vol.11

2000.3.25--4.1

On This Week In The History

What's New ? (今週の更新)

    1(Sat.)
  • 「夜の天使」:INROCK 86年5月号。

Dream:WET
バーバレラさんの「ミリタリールックのジョン」
最近夢の中でジョンさんが暴れまくっております昨日も夢の中私はベットで
ビデオ観ながらうだうだしてました。するといきなり部屋の壁を機関銃の乱射が!?
銃声に飛び起きると「危ない!避けろ!」すぐにベットから出ると自分の寝てた
場所に自動操縦が打ち込まれあっという間に蜂の巣状態「あと一秒遅かったら・・」
ぞっとしてたらベランダからミリタリールックのジョン・ディーコン。
「君!なに寝てるんだ。さあ早く準備して!」
「な、なにが?」
「決まってるだろう、とうとう奴等がここまで・・危ない!」
すると窓から手榴弾が投げ込まれ・・・
だがすかさずジョンが拾ってなげ返してくれたおかげで全壊は免れました。
そしてジョンに聞いたところ、自分は軍隊に入っていたが飽きちゃったから
除隊したいといったのに認めてもらえず、むかっときて戦車で敷地内をめちゃ
くちゃにしたら軍から指名手配されたと・・それってあんたのせいじゃないかー!!
なのになんで私の家を襲撃してくるんじゃー!
と怒り狂ってたら目が覚めた。

What's In? (今週のディーコンさんネタを総ざらえ)

とりあえず自宅で元気
QFCの29日付のNewsによれば、ジョンはロンドンで「at home with his family」ということです。春の会報にも同様の事が書いてありました。(春は直筆が拝めると思ったのですが…ミレニアムissueってことで、ブライアンのメッセージのみ)

強引な特別企画「管理人のいけてる?一週間」

26日から30日まで上京していた管理人が何をしでかしていたのかを一部公開。
お付き合い下さった方々、どうもありがとうございました。
飛行機に乗り遅れるの巻
(26日朝)7時50分のフライトを予約して、起きたのは5時30分。1時間あれば空港まで行ける距離だ。荷作りも完璧。むちゃくちゃ余裕である。だが家を出たのはかれこれ7時になろうかという頃だった。それでもまだGH3を聴きつつ鼻歌交じりで電車に乗り込んだ私の耳に入ったアナウンスは…「空港着は7時50分となります」。(飛行機は電車やバスと違ってぎりぎりに飛び乗るのは不可能である)Too Much Love Will Kill Youが殊のほか物悲しく聞こえた一瞬だった。一体全体、家で何をのそのそやっていたのか本人にも謎である。これこそが「ブライアン時間」というものなんだろうか。
「マルチ」に転ぶの巻
(26日夕方)今回の上京の目的の一つは、Deep Purpleのライブ。実のところあまり聴かないバンドだったが、50前後のオッサンの集まりに弱いこともあり、同じくオヤジフェチ(といったら怒る?)のNaoさんと国際フォーラムへ。やはり年齢層が高い。立ち上がっても微動だにせず舞台を見詰めるおじさんも多い。「疲れたろう?ここらで座ってくれ」とイアン・ギラン(vo.)まで労ってくれる始末だ。全体的にお腹の底からずずーんとくるカッコいいライヴで、(ギランのくねくねタコ踊りもツボだったが)二人がハマッたのはロジャー・グローヴァー(bs)。とりあえずベーシストを見るとジョンと比べてしまうのだが、ソロもなく比較的地味に舞台の左側で演奏している姿だけでかなり「おおっ」と思った。かと思えば他のメンバーの元へも絡みに行くし、最後などは一人だけ舞台に残ってかなり長い間観客と握手したりピックを投げたりしていて、気配りのある人だとの印象が強くなった。さらに、ツアパンの中身(写真とか詩とかスタジオ日誌)は総て彼の手によるものだと知ったときには心底驚いた。パープルでも陰のリーダーはベーシストらしい。(もちろん、ミーハーとしては、バンダナを巻いて全うなベーシストらしい揺れ方でプレイする彼のスレンダーな姿にもジョンとは違う渋さを感じたわけであるが)。ライブ後、「ロジャー・グローヴァーって、カッコイイよね〜」とタメイキをついていた二人だったが、いつまでもフルネームで呼ぶのもなんだし、かといって「ロジャー」ではテイラー氏を連想するので「何でもこなすマルチなヒト」ということで彼を「マルチ」と呼ぶことになった次第である。(実はもう一つ隠れた意味があるのだが、まあこのへんでやめておこう) ちなみに未だに現役ばりばりのマルチは1945年生まれ。脱帽だ。
国会図書館に行くの巻
(28日)「国会図書館にはあらゆる本がある」というので特撮関係の本を探しにいったのはかれこれ10年前だったが、今回はクイーン関係の書物を探そうと思い当たり、NaoさんとR-TAKAさんとで9時30分の開館から乗り込む。(国会図書館には20歳以上なら誰でも無料で入れる)。小難しい顔で小難しい資料を調べるおじさんに眉をひそめられつつもPCで検索すると、本では(ほとんど読んだことがあるせいもあって)東郷かおる子さんのものや写真集(GREATEST PIXだった)くらいしか請求しなかったが、雑誌の方は、MLをどどっと2年分ほど読んできた。最初は勝手が分からなくて、通し番号で請求するのかと思っていたら、○年のが読みたい、というアバウトな請求でも大丈夫だと分かり、たしか1975年と1982年分を頼んだ。(数ヶ月分が綴じられているごついハードカバーの冊子を手渡してくれる)。初来日頃のはあまり読んだことがなかったのと、80年代にあったらしいジョンの美麗ポートレイトを探すためである。しかしどうやら82年ではなかったらしい。近ければ毎日でも通って読みにいくのに残念だ。自分達なりに出来るだけ静かに、しかし多いに盛り上がりながらページを繰る3人だった。
感動の「のり平」との遭遇の巻
(28日)図書館の後は喫茶店でオフ会。(参加メンバー:先の3人+Yuriさん、れなさん、びぎなあさん)R-TAKAさん秘蔵のおっかけ写真を拝見して、リラックスして街を歩くボンバー・ジョン(ちょっとカメラ目線)を頂戴する。雨が降って来たが、東芝EMIを外から覗いて、懸案の赤提灯の店を探しにふらふらと裏の路地にでも移動しようとした矢先、「あ、のり平!」とR-TAKAさんの声が。なんと、EMIと同じ通りの角にその店はあった。(もっとせせこましい場所にあると信じきっていたのだが)。残念ながら赤提灯は姿を消していたが、入り口の螺旋階段はまったく当時と同じだということで、まさにそこが「のり平」だった。看板を挟んでR-TAKAさんと記念撮影。地下に入って店を覗いたが時間が早くて誰もいなかった。今度はぜひ焼き鳥を食べたいものである。
新宿ブート屋巡りの巻
(29日)まっつさんが名古屋から上京されて、Naoさん、Yuriさん、れなさんの5人で午後から新宿巡り。「ディスクロード」にはジョンのブロマイドもあったが、今ひとつで(要はオヤジモード全開だったので長髪には触手が動かなかったらしい)、「なぜこんなモノが?」と驚いたBee Geesの写真集を購入。誰が喜んで見るというのだ一体(オマエだ)。「ヴィニール」ではクイーン関係のピクチャーディスクを始め貴重な品を眺める。どれも高い。その中に、今オークションにも出ているMan Friday & Jive Jr.の12インチがあったのだが、裏をみると「Produced by John Deacon and Robert Ahwai」の文字が。オーワイさんはイモータルズだけじゃないのだろうか? やはりこれはブートかもしれない。(でも1万3千円くらいはしていた)。最後は「エアーズ」でビデオを数本購入。クイーンだけではなくBee GeesやDeep Purpleまで探していて、しかもパープルは2Fに特設してあるのですっかり長居してしまった。(後に「激おやじフェチ2人組エアーズ2Fひきこもり事件」と称される)。帰り際にNaoさんと紫の扇子を持ってファーストの裏ジャケのジョンのような写真を撮らされる。
ホテルでビデオ鑑賞の巻
(29日夜)今回のホテル選びの重大な要素は「ビデオデッキがあること」だった。(それに「モジュラージャックがあること」を加えなかったせいで結構悲惨な目にあったが)。4泊の間、毎夜2時くらいまでNaoさんと一緒に持ち込みのビデオを堪能していたが、この日はKaoruさんも交えて、アルゼンチンから入手したブート3本を鑑賞。Ian&BelindaのWho Wants To Live Foreverのクリップ(白黒)では途中でジョンがちゃんとでてきて(ラフな黒のTシャツにズボン。髪はオールバック)、カスタムメイドの「オヤジモデル」を奏でるアップが続いた。顔はほとんど映らない。Moris Minorの第二弾クリップには、ぱりっと決めたスーツ姿でいきなり登場し、イントロに合わせて振り付きで踊ってくれるのだが数秒後には消えてしまった。青いカツラは良くて、「素」で出るのは恥ずかしいのだろうか。そして、70年代前半のジョン&フレディのTVインタビューという垂涎の映像は…フレディしか喋ってない上にカメラがズームするのでほとんど映っていなかった。紹介字幕さえない。それでもこの二人だけで受けたインタビューだから、許そうと思う。