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Queen before Queen
The 1960s RECORDINGS PART 4 : THE OPPOSITION

"Record Collectors"
ミッドランドを基点とした5人組バンドの最も寡黙なメンバー、ジョン・ディーコン。
最大の野望は、次のギグでプレイすること。

Initial research John S. Stuart. Additional researh and text: Andy Davis.
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ジョン・ディーコンの最初のグループ、オポジション。1967年初め、レスター州オードビーのとあるフロントルームにて。
左から:ナイジェル・バレン(ドラムス)、リチャード・ヤング(キーボード)、ロン・チェスター(ギター)、
デヴィッド・ウイリアムス(ギター/ヴォーカル)―襟に注目!― そして16才のディーコン(ベース)。

ジョン・ディーコンは、クイーンに最後に加入した4人目のメンバーだ。彼が1971年2月に常任ベーシストとして参加し、『王室』の一員となってから、今月で25年になる。 それは彼にとって、6年間の音楽経歴の頂点といえるものだった。オポジションと呼ばれる、レスター州のアマチュアバンドで主に過ごした「キャリア」の。

1965年から1969年まで、ディーコンと学友達は、故郷のミッドランドの周辺で、当時の移り気なムードスウィングを反映し、名前、イメージ、スタイルを変えながら、ささやかでローカルな足跡を残した。オポジションの最も注目すべき点は、実際このグループがいかに注目されなかったのか、にある。

全体的に、彼らは野心のないグループだった。A&Rバンドになってロンドンに出向こうと企てたこともない。60年代にレスターを訪れたチャート入りバンドの集団のサポートを務めたことが、唯一の誇りである(1968年Melton Mowbrayにおいて、Reperata & the Delronsの前座)。地方のレコード会社にデモテープを送ろうとすらしていなかった。救える点は、単独録音したもの―3トラックのアセテート盤―が残っていることである。しかしこれでさえもまったくプライベートに作られ、内輪でしか聴くことが出来ないものなのだが。

最もスターダムに近づけたはずの勝ち抜きコンテストが、 ファイナルで演奏するチャンスを得る前に中止されたという事実も、オポジションの地味さを表しているといえよう。ジョン・ディーコンと友人達にとっては、単にバンドでいるということだけで、充分価値があったらしいのである。

これらを全て考慮すると、以下の話に対する反応も容易に想像できる。オポジションのギタリストの一人、ロナルド・チェスターの話だ。 「ジョンが通っていたビーカム・スクールの先生で、占いをやる人がいた。ある土曜日、皆で彼女のところで占ってもらったら、『ジョン・ディーコンは世界中で有名になって、ものすごいお金持ちになるでしょう』と言われたらしい。勿論、皆で笑い転げたそうだ。彼女はそうなることを確信してたけど、皆ジョークだと思ってた」

ディーコンの仲間達が揃って可笑しがったのは、平凡な彼の品行からは起こりそうにもない筋書きだったからである。1951年、レスター生まれ。英国の真ん中で、裕福な中流家庭の育ち。少年時代は「ディークス(Deaks)」と呼ばれていたおとなしく内気なジョンは、Mark Hodkinson著 'Queen -- The Early Years'の言葉を借りれば『どこにでもいる少年』だった。

「もともとシャイな奴なんだ」オポジションの初代ギタリスト兼ヴォーカリスト、後のキーボーディストのリチャード・ヤングは証言する。「僕らの誰よりもおとなしかったと思う。…でもステージを見た限りでは、クイーンの時もかなり静かだったよな」

ロン・チェスターも同意する。「ジョンのおとなしさは生まれつきだ。妹のジュリーも同じだったな。一旦何かやりだすと、ほかの皆と大して変わらないんだが、最初が厄介なんだ。なだめすかして打ち解けさせるのに苦労したよ。よく勇気づけてやらなきゃならなかったもんさ。僕らに会うのに道も歩けやしなかったんだから」

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