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Innerview 〜 インナー・ヴュー 〜

with Jim Ladd 1976 (Radio Interview)

これはインナー・ヴュー、私たちの人生を変える音楽を生み出してくれる人々の、内面に迫る番組です。インナー・ヴューはエレクトラ・アサイラム・レコード&テープスの提供でお送りします。ホストはジム・ラッド。インナー・ヴュー、この後すぐです。

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ジム・ラッド(以下JL): こんばんわ皆さん、ようこそ。今夜のお客さまはジョン・ディーコン、ロック界で最も興味深く前衛的なバンドの一つの、ベース・プレイヤー兼コンポーザーです。"てめえら観念しろよ"なロックンロールから、非常に複雑に入り組んだバラードまで、多岐に渡る彼等の音楽は研究に値するものでしょう。スタジオでもステージでも熟練した彼等は、音楽性とショウマンシップの両方でユニークなコンビネーションを保っています。その仕組みを、今夜のインナー・ヴューで見つけ出していきましょう。

[Keep Yourself Alive]

JL: この『炎のロックン・ロール』、好きだなあ。誰が書いたんだい?

ジョン・ディーコン(以下JD): ギタリストのブライアン・メイの曲だよ。クイーンとしてのごく初期の曲のひとつさ。僕は大学にいる時に彼等に会ったんだけど、その頃はリハーサルばっかりやってて、これはその当時の曲なんだ。基本的に、ライヴでプレイしてきた曲なんだよ、みんな…オーディエンスに向けてね。ファースト・アルバムには、僕たちが長い間温めて、一緒に演奏していた曲が沢山入っている。『炎のロックン・ロール』、『ライアー』、『グレイト・キング・ラット』なんかがそうだ。演奏し慣れた曲ばかりだった。後でスタジオ入りして、レコーディングしたんだ。それから、ファースト・アルバムには1曲か2曲くらい、スタジオでやってみて面白かったから入れたのもある。『マイ・フェアリー・キング』だけは、スタジオにいる時にフレディが書いて、スタジオ内で組み立てられた曲なんだ。だけど、さっき言ったようにね、他の曲は基本的にライヴ・ソングさ。まずトラックがあって、それからちょっとばかり…バッキング・ボーカルやギター・ソロなんかを加えて最終的な状態にして、出来上がりって訳。

[Modern Times Rock and Roll]

JL: できれば、簡単に人物紹介してくれないかな? バンドの他のメンバーについて、お世辞でも何でもいいから。

JD: まあ、やってみるよ、うん(笑)

JL: もちろん、良心がとがめない程度にね。

JD: 分かんないけど、ロジャーは、グループ一ロックン・ローラーっぽいよ。ロジャーはね、ツアーが大好きなんだ。僕もツアーは好きだけれど、スタジオにいるのも、両方好きかなあ。家にいるのも同じくらい好きなんだけどね。

JL: でもロジャーの場合は、ただ…

JD: 彼はほんとにロードに出てギグをしたがるのさ。大好きなんだろうね。

[Drowse]

JD: フレッド、フレッドはね、ショウが大好き。大規模なショウがすごく好きなんだ…例えばニュー・ヨーク、シカゴ、LAなんかの、有名どころでのね。人が沢山見に来てくれるだろ。彼は…望みを持たせてくれるものや人が好きだね…彼を見詰めてくれるオーディエンスとか…。でも、すごくプロフェッショナルなんだよ。毎晩。

JL: じゃあ彼は、見に来てくれる人の心を掴むのに夢中ってこと?

JD: うん、そういうところがあるな。でも彼は、それはもうすごいハード・ワーカーなんだよ。毎晩、ステージ上で無茶苦茶頑張ってるからね。ステージを走り回って、ものすごく体を酷使しているみたいなんだ。

JL: 精魂傾けてるんだ。

JD: そう、それが毎晩なんだから。

[Good Old Fashioned Lover Boy]

JD: ブライアン、ブライアンは、思索家の類だな。色々な思想やアイデアを歌に込めている。基本的に僕たちはロードに出ている時はあんまり作曲しないんだけど、ブライアンは時々ロード中にアイデアを書き留めて、後で曲の中に活用しているみたい。

[White Man]

JD: 僕はグループの中では大人しいね。どこでも一人いるでしょ。たいていベース・プレイヤーで。

JL: そうだね、バンドの"ザ・ロック(基盤・礎)"。

JD: ジョン・エントウィッスルとか、そういう感じの人々。うん、僕は目立たない方だよ。でもこれは必要なことなんだ。4人の全く違う個性のバランスを保つ、ある意味でとても健全な方法さ。4人いると、山のようなアイデアが飛び交う。それでも、グループのためにならないかもしれない一方向に極端に走っちゃうこともないんだ。いつだって他の3人が引き戻してくれるからね。

[Stone Cold Crazy]

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JL: まず聞きたいんだが、ディスコ全盛のアメリカで、『ボヘミアン・ラプソディ』ほどシンプルな、複雑でない曲(笑)がヒット・シングルになったのは何故なんだろう。僕には分からないが、君らは予想していたのかい?

JD: うーん、そんなことないよ。アルバムを仕上げた時、アルバムってのはあの曲が入っている「オペラ座の夜」ね、僕たちはイギリスで最初にシングルとしてリリースするつもりだったんだ。で、イギリスでリリースした時は、アメリカで出さない方がいいかもって考えていた。なぜってそれは、こっちじゃアメリカン・テイストがとても…(躊躇いがちに)キツくなってきているからね。とにかく、僕たちはイギリスでさえも、全部編集し直そうかと思ってたくらいなんだ。でも、何度も何度も聴いてみたものの、編集の余地は無くて。色々やってみたけれど、編集するってことは、曲のどこかを無くすってことだから、結局丸ごとそのままにしておいた。とにかく、うまくいってラッキーだったよ。

[Bohemian Rhapsody]

JL: クイーンが社会的なレベルで人々に影響を与えていると思う? それとも、単にエンターテイナーとして?

JD: 真っ先に、エンターテインメントだと言わせてもらうよ。だけどブライアンは少しばかり社会的かもしれない。彼の歌詞には色々な意味が込められているからね。それに反してフレディの曲は一層ファンタジックな感じだよ。誰がその曲を書いたかに大いに依存しているんだ。僕たちがどれだけ皆の心をがっちり掴んでるのかなんて分かんないけど、それは主に娯楽面だけでの話だと言える。僕たちはどのみち、政治的な動機なんてものは全く持ち合わせていないんだから。社会的な影響は与えていないと僕は思うな。

JL: イギリスのミュージシャン、或いは一般的なイギリスのキッズたちは、アメリカ人がかつてそうだったよりもずっと、アメリカン・ミュージックに対しての知識があるように思えるんだ。ほら、アメリカのキッズたちが長い間恋しがってた色んなものをアメリカに戻してくれたのは、イギリスのバンドだったじゃない。

JD: そう、多分、多分ね。イギリスにはいつだって沢山のアメリカン・ミュージックが流れていたけれど、明らかにビートルズが出てきた頃から、それがイギリスのものに切り替わってしまった。でもそれまでは、アメリカン・ミュージックが主流だったんだよ…エルヴィス・プレスリー、チャック・ベリー、特に、初期のR&Bなんかが。イギリスのバンドが聴いていたのはまさしくそういった音楽で、それから始まったんだ…ボー・ディドリーやその周辺の歴史がね。アメリカン・ミュージックは多大な影響力を持っていたよ。

[Bring Back Leroy Brown]

クイーンの音楽を聴いて最初に気づくのは、彼等の演奏の精密さでしょう。技術的にも声域的にもほとんど不可能な効果を生み出しているかのようです。彼等は器材に強くなると同時に、スタジオでのプレイを学んで来たのです。

JD: 僕たちはいつだってレコーディング面に大きな関心を抱いているんだ。なぜってそれがレコードに入るんだもの。僕たちのレコードには沢山の音が詰まっているよ。特にヘッドフォンで聴いてみればいいよ、分かるから。ある意味でかなりモダンなことをやっているつもりなんだ、スタジオを大いに活用しているからね。マルチ・トラッキングをいっぱい使っているお陰で、より一層モダンに聴こえると思う。5年前には出来なかったことさ。そんな設備が無かったからね。ファースト・アルバムをレコーディングした頃は16トラックのマシンで、それを出来る限り使った。ところが数年前は8トラックと4トラックしか無くて、やれることがとても限られていたんだ。まるでライヴで演奏するみたいでさ、中に入って、ステージでプレイするみたいに弾いて、ハイ出来上がり、って感じだったよ。だけど今は、スタジオでの作業自体が芸術だね。ステージでは再現できそうにない音まで作り出せてしまうんだから。

[Tie Your Mother Down]

JD: 僕たちはロイ・ベイカーと話をした。最初の3枚のアルバムを担当してくれた、今では有名人さ。彼はとても優秀なエンジニアみたいに、スタジオ内外での技術的なことをなんでも知ってたから、必要な人材だった。それで彼に、ボーカルを50回以上録音する方法とか、"フェイジング"の仕方とか、どうやってやればよいのかを教えてもらったんだ。僕たちの希望するアイデアを、実際に彼が可能なやり方で再現してレコーディングしてくれた。でも彼と一緒にやったのは「オペラ座の夜」で最後さ。4枚のアルバムを一緒に作ってきて、スタジオではどうやればいいのか習得したし、プロデューサーの手助けはそれほど必要ないって意見に落ち着いたんだ。だって僕たちにはグループの中だけ、僕たち4人だけで、山のようなアイデアがあるんだもの。本当に必要なのは腕の良いエンジニアだけだった。それで新作「華麗なるレース」では、1人のエンジニアと一緒に、自分達で大体プロデュースしながら作ったんだ。「オペラ座の夜」と「シアー・ハート・アタック」ではクレジットに「共同プロデュース」の文字があったからね。初めてスタジオに入った時は、新米だから、学ばなきゃならないことが色々あって作業が遅くなる。場合によってはすごく時間がかかるんだ。スタジオの中では、時間内にすべきことを把握して、それを克服できるように自信を持たなくちゃ。でも人それぞれだよね。スタジオで何が起こっているのか全く分かっていないアーティストもいるじゃない。だけど僕たちはいつだってスタジオでの作業に関心を持っていて、ベストを引き出そうとしてきたよ。自分達でプロデュースすることは、自然な延長に過ぎないんだ、実のところ。

[Somebody to Love]

JD: 僕たちのアルバムって、本当に色んな曲のコレクションみたいでしょ。グループ内の4人全員が作曲するからなんだよ。大多数はフレディとブライアンの作だけどね。新作「華麗なるレース」では、この2人が4曲ずつ、そしてブライアン(原文そのまま←間違えるなよジョン)と僕が1曲ずつ書いているから、アルバム全体としてのコンセプトというのは特に存在しないと思うなあ。僕たち一人一人が曲を持ち寄った際、どんなのが飛び出してくるかによるね。レコーディングする前の数週間は、たいてい曲を書いているんだよ。

[Killer Queen]

JL: アメリカのラジオでずっと伝えたいと思っていたこと、他にないかい?…行きたいところとか…何か言いたいこととか?

JD: うーん…分かんないなあ…アメリカのラジオはある意味で素晴らしいってことは言っておくよ。新しいグループ、特にイギリスのグループが、ここでこんなに興味を持って取り上げてもらえるんだからね。やっとファースト・アルバムをリリースしたばかりでも、「よしきた」って風にラジオ局で取り上げてくれる。すごくまともな状況だよね。

JL: 君たちクイーンが最も誇りに思っているものは何?

JD: 分かんないなあ…人それぞれだから。でもこのツアーがやれて、ものすごく嬉しいよ。これが大きめのホールでやる初めてのアメリカ・ツアーなんだ。とても大きなステップだよ。オーディエンスは今年に入ってとても増えてきたし、幾つか大きなショウもやってこれたし、すごく満足しているんだ。ほら、LAフォーラムやなんかの大きめのホールでね。ニュー・ヨークではマジソン・スクエア・ガーデンで1回やったよ。ずっと夢見てきたギグさ。4度目になる今回、僕たちは小さなシアターを色々巡ってるけど、ある意味、ああいう所でプレイするのが野望といえるね。特にロジャーは、マジソン・スクエア・ガーデンやLAフォーラムみたいな場所でプレイするのが望みらしいんだよ。今回のショウはほぼ上出来だったと言えるだろうね。だってあんなサイズのオーディトリアムで大成功を収めているみたいなんだもの。

[You and I]

JD: スタジオではかなりの時間を費やすよ。特にフレディは、曲を書きながらね。彼の頭の中にはアイデアが渦巻いていて、何がしたいのかをきちんと掌握しているんだ。あちこちの細々したことまで。

JL: 曲のプロデュースに関することまで?

JD: ああ、うん、そうなんだ。なにもかもね。僕たちは実に長い時間をスタジオで過ごすんだよ。各段階ごとに曲を聴きながら、これでいいかどうか確信が持てるまでね。

JL: 僕たち、もう時間を使い果たしちゃったかな? オーケイ。

JD: 僕を独りにしちゃうつもりか何か?(笑)

JL: どうもありがとう。

JD: オーケイ、こちらこそどうもありがとう。うん。

さて、お楽しみいただけたでしょうか。クイーンという名の4人の才能あるミュージシャンについての知識が深まったと思います。勿論、次週も新たなインナー・ヴューへと皆さんをご招待しましょう。


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