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生き地獄へ道連れ 〜真実のジョン・ディーコン〜(前編)

Written by ぼーいんぐ819さん

1.誰?

『……お経の声……?』

夢ウツツの中で、それを聞いた気がした。
でもまだひどく眠い。日頃の疲れがどっと出たのか、
腕も脚も腰も背中も重く、まるで自分の身体とは思えない。
何時だろう…?
そろそろ起きなくては…と思うものの、引き摺り込まれるような睡魔には勝てず、
炎天下に放置されたアイスクリームのように身体の力が抜けてゆく。

いつしかmamiは再び小さな寝息を立てていた。

ほどなくまた同じ声が耳元に届いた。
時々速さや強弱や声色までもが変わって聞える不思議なお経。
いったい誰がこんな朝っぱらから…?
「う…さぃ…ぁ」

mamiは毛布を被った。声は止む気配がない。
どこから聞えて来るのかもわからない忌々しい雑音にだんだん苛立ったが、
お経が止むと同時に遠くでドアが静かに閉じるような鈍い音も微かに聞こえ、
いよいよベッドから離れなくてはならない事態に辟易し始めていたmamiには
その後訪れた静寂が救いとなり、みたび眠りに陥ちてゆくのだった。


「……ン……起き…よ」

mamiは突然身体をビクつかせ、毛布の下で反射的に目を開いた。
誰かがいる…?今確かに人の手で揺さぶられ、人の声を聞いたようだった。
『そういやオカン、来てたんだっけ…』
半分眠ろうとする朦朧とした頭の中で、必死で記憶を辿った。
『え?…あれ…?オカンと電話で話したんは……』
そして次にもっとも恐ろしい事実に突き当たる。
実家の母と一番最後に電話で話したのは確か昨夜の筈だ。
しかもmamiにはこう言ってた。
「明日から暫く忙しいねんから、当分そっちへ行けそうもないわ」
 
mamiははっきり目が覚めた。そして新たな恐怖感に襲われてもいた。
『…今この家に私以外の人間はいない筈……』
そう思った次の瞬間、すっぽり被っていた毛布をいきなり勢い良く剥ぎ取られた。
一瞬の出来事に悲鳴を上げる余裕すらなかった。

「やっと目が覚めたか?」
mamiは視界を埋める声の主に息を呑み、石膏のように固まった。
微動だに出来ない身体の内側で、心臓だけがバフバフと騒々しく喚き散らす。
mamiは我が眼を疑った。
写真かビデオでしか見たことのなかった愛しい笑顔が、mamiの顔を至近距離から
覗き込んでいるのだ。優しさと憂いを半分ずつ湛えた緑色の目が…。

『ジ……ジョ……ジョ…ン』mamiは名前を叫んだつもりでいたが、実際には目を見開いたまま
声の出ない唇を震わせているに過ぎなかった。
男はやにわに近くの雑誌を掴むといささかの躊躇も見せず、ベッドに身体を横たえたままの
mamiのわき腹辺りに背を向けて腰を下ろし、手にした雑誌をめくり始めた。

『うっわぁ〜〜〜っ!!』今度は汗が噴き出す。
mamiは自分がちょっとでも動こうものなら間違いなく触れるだろう男の背中―チェックのシャツブラウスを身に纏ったスレンダーな背中―を穴が開くほど見つめた。
凝視するmamiの双眼から発せられた強い視線<まるで虫メガネを通した太陽光線>はじりじりと男のシャツを焦付かせ、今にも煙が立ち昇りそうだ。

『いったいこれはなんやねん???』
我に返ったmamiはかつてないパニックに見舞われた。
あまりの驚きに泣きたくも笑いたくもある無茶苦茶な状態の中、だんだん呼吸が苦しくなる。
まるで薄皮一枚の向うに鼓動毎に肥大化する心臓があり、その心臓が徐々に肺を圧迫し、
呼吸困難になってやがて死ぬのではないかと思うほどに。
次第に恥かしさも募ってきた。早くここから逃げなくては…と思ったが、驚愕のあまりかmamiの
身体は全く動かなければ声すらも出ない。
横で平然と雑誌を読んでいる男は、ダチョウの卵でも余裕で孵化させてみせてくれそうな巨大な
アフロヘアを、無造作に掻き毟っていた。

『もしかしたら私はまだ眠っているのかもしれない…』とmamiは思った。
確かにそう考えた方が健康的である。
『これは夢。そう、夢や!』mamiはこのうそ臭い現実からの逃避を図った。
必死で自分はまだ覚めない眠りの中にいるのだと何度も何度も言い聞かせる。
夢なのだから痛みもなければ傷も残らない。例え殺されたとしても本当に死にはしないのだと。

だが、夢の中に進入して来た筈の男がおもむろに尻を掻こうと背後に手を廻した瞬間、
くの字に曲がった彼の肘は、mamiのわき腹に見事命中するのである。
『ぐぇっ!!』
息の根も止まりそうな痛みが走る。すぐさま目に涙が滲むほどそれは効いた。
「おっと…ゴメンよ」
男は振り返り、今しがたエルボー・スマッシュをキメたばかりのmamiのわき腹を、
今度は猫の喉を撫でるかのように、細長い指を揃えた掌でよしよしと擦る。
『や…や、や、やめんかっ!よさんかい〜〜』予想だにしなかった展開に、ついつい痛みを
忘れたmamiは顔から火が出る思いで悶えに悶えた。

…これでは夢だと言い張ろうにも材料があまりにも乏しい。むしろ、これは全て夢ではないと
証明してしまったようなものではないか。
しかしこのようなふざけた状況を、いったい誰が現実として素直に受け入れられるのだろう?

今にも意識を失い兼ねないmamiは男から目を逸らし、半ば崩壊したアイデンティティを
呼び戻そうと試みた。こんな時は強引にでも自分を本物の現実に引き戻す必要があるのだ。
周囲を見渡し、自分個人の世界を思い出させるヒントを捜し始めた。

mamiは小さな書棚の上に、奇妙な直角三角形のアナログ時計を発見する。
その時計は一見秒針がないようにも見えるが、よくよく見ると中心部の少し下に
女性の口の絵が描かれ、カチカチと秒針の進む音が鳴る毎、上唇と下唇の間から
プラスティック製の真っ赤な舌が音に合わせて出たり入ったりを繰り返している。

しばらくの間、mamiは吸い寄せられたかのようにそれを見ていた。
『ストーンズのグッズやろか?』
『こういう置き時計は普通、正三角形か二等辺三角形やあらへんの…?』
すっかり身に着いた習性だろうか。こんな時でもmamiはツッコミだけは忘れない。
この時だけはそれ以前のパニックをキレイに忘れ、しばしその時計に見入っていた。

『しかしなぁ…ナンで直角三角形やったんかなぁ…』
直角三角形…という言葉なのかその形なのか、とにかくやたらと記憶に引っ掛かる。
mamiはひたすら考えた。『あれ…なんやったかな。私が思い出そうとしてたことって…』

再び時計に目をやった。『そう、これや!』
mamiはやっと思い出した。『三角関数…!』
ついでに束の間忘れ去っていた先ほどの混沌までをも思い出し、再び混乱の極みに
埋没するのを恐れたmamiは、咄嗟に目を瞑り記憶の糸を手繰り寄せた。

『正弦・余弦・正接・余接・正割・余割で六関数…』
ふぅう〜っとmamiは長い息を吐く。

『正弦二乗θ+余弦二乗θ=1の証明。
直角三角形の2角をxy、斜線をc……(力一杯中略)……ピタゴラスの定理A二乗+B二乗=C二乗ゆえにサイン二乗シータ+コサイン二乗シータ=1』
mamiの頭脳はテンポ良くこれらの数字や記号を、閉じた目の裏側にあるスクリーンに映し出して行った。
次第に落ち着きを取り戻している自分が少し嬉しい。
『うん、大丈夫。次…』

「変数xが凅だけ変化した時の関数f(x)の変化:凉=f(x+凅)−f(x)はf'(x)凾に等しいから
これがf(x)の……。dy=f'(x)dxとも書く、と」

いつしかmamiはこの数式を夢中で声に出して言っていた。
声が出て『あぁ、私は壊れていなかった』と安堵の気分が胸に広がるのを感じながら。
だが間髪入れずに、雑誌に目をやったまま振り返りもしない男はこう言い放つ。
「んん?微分がどうかしたか?」
mamiの心の平和を水爆並に破壊したのは聞き覚えある独特の鼻声だった。

……どうしてこの男は肝心な時にこれ以上ないタイミングでmamiを陥れるのだろう?
『これはやっぱり夢?それともタチの悪いジョーク…?』
結局、元の木阿弥である。mamiはまたしても泥沼に沈み込む気持ちになった。

mamiはそれでもめげずに、こんなことが起きうる可能性を掘り下げた。

そうか、きっとこれは【どっきりカメラ】か何かだろう。
ジョン・ディーコンのそっくりさんを連れて来て、私を騙して面白がっている人が
どこかに隠れているに違いない。こんなことを思いつく人は誰だろう…?

ふいにmamiの脳裏を、笑いながら飛び去る時代遅れなスーパージャンボが掠めた。

『あぁ、きっとそうや。あのヒトならやりかねない』
猛然とmamiは復讐の鬼と化す。
自らF16を操縦し、眼下をへらへらと飛ぶ回送中のボーイング819機に、
ありったけのミサイルをぶち込む壮大な妄想の中で、だが。

幾分気を取りなおしたmamiは横の男を盗み見る。今見えるのは後姿か横顔限定だが、
正面から見た彼はダチョウの巣の下に美しく整った白い顔があった。どこかイントネーションが
奇妙な吃音混じりの、とても丁寧とは言えない英語を話してはいるが、頭の切れは半端じゃない。
この男はどこまでもジョン・ディーコンに似ているとmamiは思う。長く赤い鼻も、ほくろの位置までも
がまるでそっくりなのだ。まだじろりと見られてはいないが、もし睨まれるようなことを言えば、
この【ナンちゃってジョン・ディーコン】は立派にそれも演じてみせてくれることだろう。

もうひとつmamiはハッとした。目覚める直前、耳に入ってどうしようもなかったあのお経も
この彼が喋っていた声だったのかも、と。
『ひたすらひとりごちていたのやろか…?まさかホンモノ…???』一瞬背筋が凍った。
しかし頭の中が冷めて来たmamiは、どんなに似ていても彼がジョン・ディーコンだと信じるワケにはいかない決定的な事実があることに気付く。
西暦2001年の今年、ジョン・ディーコンは50歳になる。30代で既に頭髪が不自由だったジョンなのだ。
逆さに振っても50歳間近の今アフロを再現できる筈がない。もっともよくここまで似た男がこの世に存在し、しかも人を騙す為だけにここにいるのだと思うと、変に感慨深い気持ちにもなってくるが。
『良く似た他人でも私は悶えてしまうからなぁ』mamiは内心、力なく笑った。

『…にしても、ここはいったい……?』
ベッドと小さな書棚と直角三角形の時計と丸テーブルがあるだけの白くて狭い部屋。
書棚に並んでいるのは全部洋書で、ブラインドの備え付けられている窓はとても高い位置にあった。
よくよく見るとベッドだと信じていた寝床はソファの代用で、正面に見えるドアはえらく厚く頑丈に
しつらえてありそうな閉塞感と重圧感に満ちている。
そのせいなのだろうか、何故だかとても頭が重い。mamiは頭痛を感じた時いつもそうするように、
拳で頭のてっぺんをこつこつ叩こうと軽く握った片手を脳天へと上げ、いつもとまるで違う頭の感触に
ぎょっとした。クルクルに巻かれたダークブラウンの長い髪の毛が、いつの間にか自分の頭から生えているではないか。
「えぇ――――っ!!どうして〜〜〜っ!?」mamiの絶叫は部屋中に反響した。
驚いた横の男は雑誌を閉じるや、凄みの効いた双眼をmamiに向け、
紛れもなくこう言ったものだ。

「やい、ブライアン、どうしたっていうんだよ?今日のお前少しおかしいぞ!」

2.鏡の中のペンギン

mamiが愕然としたのは「ブライアン」と呼び掛けられ、驚いてソファから立ち上がった際、
自分に弾かれたジョン・ディーコン似の男が前のめりに転げ落ち、壁際に並んでいたサボに
顔から突っ込んだことだけではない。
「私は断じてブライアンなんかじゃありません!!」とやっとの思いで口にした時、したたかぶつけた鼻を余計に赤くしたジョン似の男が立ち上がり、mamiを【やや見上げつつ】睨みつけたその事実だった。
そして何時の間にかどやどやと3人の男が分厚いドアの向うから現れ、【mamiの眼下に】フレディのそっくりさんもロジャーのコピーも鼻を摩るジョン似の男も居並び、更にはプロデューサーのラインホールド・マックとウリふたつの男までもがそこにいたことだったのだ。
そして不思議なことに、ブライアン・メイ似の男だけがとうとう姿を現わさなかった。

全く訳がわからなかった。しかしmamiは勇気を振り絞って
「も、もしかして、ここにいる皆さんはクイーンのそっくりさんなのですか〜?」と消え入りそうな声で
尋ねた。
眉間にごっつい皺を寄せ上目遣いにmamiを見ていたロジャー似の男は、大きな目をこれ見よがしに泳がせたのち、しゃがれた甲高い声で
「まぁな。そしてアンタがぶら〜いあんのそっくりさん、ってとこかな」と意味深に笑った。
髭を弄っていたフレディ似の男は、盛んに上唇を長く飛び出た前歯に沿って上下させている。
「寝惚けたんだろ、ねぇダーリン?」ウィンクをひとつ残してフレディ似の男は軽やかに部屋を出て
行った。
「それとも…からかってるのかい?」とマック似の男。ジョン似の男と足して2で割りたいくらい
勿体ぶった口調だ。
「いえいえ、とんでもない。からかってなど……」mamiは何から説明すべきか迷いに迷った。
大体、何故こんな場所に自分がいるのか、それすらもわからないでいるのだ。
『とにかく、ここは起こった事実を全部話して、わかってもらうしかないんや!』mamiは開き直った。

「聞いてください。実は私……」
mamiが話し始めた直後、フレディ似の男がどこからか戻るやロジャー似の男に耳打ちを始めた。
「実は私は日本人で、ジョン・ディーコンのファンなんです…」mamiは必死で自分を語った。
だがマック似の男は黙って冷笑を浮かべるだけで、ジョン似の男に至っては聞いてもいない。
「…今日、目が覚めたらここにいたんです。本当です。それから……」
mamiの話などおかまいなしにロジャー似とフレディ似の2人はmamiの右側と左側に分かれて
近づいてくる。それぞれがmamiの片腕にするりと腕を絡ませるや、部屋から強引にmamiを引っ張り
出し、半ば引き摺るように廊下を歩かせた。

「ちょ、ちょっと、何するんです!?」 
「待ってくださいよぉ、どこへ行くんですか?」
「お願いですから、私の話を聞いてくださいよお〜〜!!」
mamiの懇願など耳に入ってないかのように、長い廊下の先のドアの前で立ち止まったフレディ似の男は「用意はいいかい?」とドアの向うに叫んだ。
中からくぐもった男の声が「OK!」と答えると、フレディ似の男は「いち、にの、さん!」と数えてドアを開け放ち、中に向けてmamiをぐっと押し込むとロジャー似の男と共に逃げ去った。

mamiは一瞬、これまた見覚えのある男の顔に出くわし、動きを止めた。
『ジムだ……』
まさかその時、にやりと笑うジム・ハットン似の男が、バケツ一杯の水を脚立の上から
自分めがけてぶっ掛けようと待ち構えていたなどとは夢にも思わずに。

ずぶ濡れで呆然と立ち竦むmamiを取り囲み、全員が腹を抱えて笑っている。
とりわけロジャー似の男の喜びようといったら、ここまで完璧な物真似を
される本物のロジャーが気の毒に思えてくるほどだった。
「これで目が覚めたろ?」
mamiの頭にバスタオルを放って奇声を発しながら皆がその場を去り、
言葉もなく俯いていたmamiは、濡れた髪から滴る水を拭って鏡を見た。

『ひっ……!!!』息が止まった。

mamiだけが取り残された筈のバスルーム。
なのに鏡にたったひとり映っていたのは、びしょ濡れのブライアンだったのである。

『……………』
mamiはとうとうその場に崩れ落ちた。

3.5人目のクイーン

……何日経っただろうか。【本物のクイーンのメンバー】+αによる荒っぽい洗礼を受け、
鏡を覗き、自分を見廻し、卒倒して総てを悟ったあの日から。

今ハッキリしているのは、ある日突然mamiは1984年3月のブライアンの体内に迷い込み、
その中から出られなくなった為、やむを得ずクイーンのメンバーとして生きている、ということだ。
同時に、今まで駆使したこともない長身の男の体躯を、自分の意志で自在に使いこなすコツを
覚えて面白がってもいたが。

当のブライアンは自分に起こった異変に全く気付いていなかった。無理もない。
基本的に人間は、ひとつの身体を同時に複数の人格がコントロール出来ない仕組みに
なっている。その上、ブライアンの身体を操作するという意味での主人格決定権は、
もはやmamiの側にあったからだ。
また、そのような複数の人格が共存している特殊な肉体であっても、表に出てくる人格は必ず
一度につきお一人様限定なので、客観的に見た〔mamiの人格による〕ブライアンの奇行の数々
は、単にブライアンがイカレた、と判断されるに過ぎないのであるから、万が一ブライアンとmamiが
直接対決をするような場面が起こったとしても、端からそれを見る他者にはせいぜいブライアンの
ひとり漫才くらいにしか見えない為、臨床心理の専門家でも同席させない限り、またバスルームに
連れ込まれて水をぶっ掛けられるか、或いはパイでも投げつけられて真っ白にされるのが関の山なのである。

…つまり早い話、mamiが突然ブライアンの中に入り込んだ時から、ブライアンはmamiの意思によって行動しているという訳だ。
しかし、さらに正確に言うなら、ブライアンの皮を被ったブライアンともmamiともつかない人間が発生してしまっている状態なのだが。

…えぇい、鬱陶しい…(^_^;)

要するにこれはジョン・マルコヴィッチ(=ブライアン)の頭に侵入したキャメロン・ディアズ(=mami)の構造だと思って戴けるとわかり易い。
(やれやれ…ジョンだのキャメロンだの、ディーコン一家を連想される向きもあろうが、
未だ映画【マルコビッチの穴】をご存知ない方は、ぜひそちらを参照されたい)

どうしてもmamiが耐えられない場面や場所―例えばトイレや風呂や家族が待つ家といったブライアンのプライバシーが露呈されるスぺース―においての2人の入れ替わりは完璧に行われた為、ひどく不都合を覚えるような事態は今のところ迎えていない。
mamiの意思によって行動する時、ブライアンは睡眠状態に陥り、またブライアンが自己の意識を取り戻して行動している時、mamiの意識は自動的に2001年の日本に戻り、しかも3〜4ヶ月前のmamiの行動を再現するのである。再びブライアンの中での活動を再開する時には、日本に戻っていた部分の記憶だけを喪失させるのがここでの掟なのだ。そうしないと、記憶の構造に取り返しのつかない重大な欠陥が生じる危険があるからだった。

…むろんこれというのはブライアンにしてみると、一日の大半を何者かによってヘッドジャックされたままで過ごさなくてはならない不幸な状況なのだが、mamiにとっては常にジョンと行動を共に出来る、願ってもない好機だった。

例外的な事件としては、mamiは時々mamiの意思のまま弾き難い筈のレッド・スペシャルを自在に操り、世界に冠たるクイーンのギタリストの偉業を味わう幸運にさえ恵まれたことだ。
この事実を公表すれば、世界中の心理学者が頭を抱えることだろう。

ただ難を言えば、この当時もクイーンは常に解散の危機を実しやかに囁かれ、実際にメンバー同士も決していい関係を続けていた訳ではないという事実があったようだ。
ことブライアンとジョンの不仲は表にこそ出なかったものの、クイーンを取り巻くスタッフ、ローディ、
関係者無関係者、親戚縁者友人知人有象無象を一切問わず、公然の秘密だという説すらもある。

張り詰めたバンド内の空気を身をもって感じたmamiのショックはことの他大きかった。
mamiは身を捩って悶えた。今自分の外見を担ってる男は、この世で一番好きな男から
目一杯嫌われ・疎まれているのかも知れないのだ。

『そんなぁ…こんな殺生があってええのやろか…?』

…余談だが、この苦悩をきっかけにmamiはのちのアルバム【カインド・オブ・マジック】に収められる
名曲【リヴ・フォーエバー】を密かに作曲し、ブライアン名義でこの世に送り出している。
この背景をベースに歌詞を読むと「There's no chance for us」のフレーズが実に痛々しい。

けれど、いつまでもしょげ返っているmamiではなかった。
予定では3日後に【ブレイク・フリー】のPV撮影が行われるらしい。
…ということは、確かこの撮影の直後に、ジョンとロジャーは約2週間かけて日本〜韓国〜
オーストラリアへとプロモーション・ツアーへと出掛けてしまう筈だ。
その前にどうにかジョンの心を解きほぐして、何としても聞いておきたいことがある。
mamiは一計を案じ、自分の知っているクイーンの過去とジョンの過去を書き換える決意を
固めていた。

『そう、フレディが髭を剃り落とす前に……』(2001. 6.11 了)

後編へ

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